0019-09-09

明日あたりはきっと春(はっぴいえんど)

しばらく個人的に喪に服してたのでネット自体してなかった。
つか、あまりやる気がしなかった。

しかし、そろそろアップ再開します(レコーディング自体は続けていた)。

ここしばらくは柄にもなく死生観とか、なんかそういった事を色々考えていました。
正直ちょっと今もややダークだが、まあしょうがないやね。辛気臭くて申し訳ない。
久しぶりにネット見たら2chレコダイスレも代替わりしてた。驚いた。進行速過ぎですよおまいら。

ということで本格更新は明日か明後日あたりから再開。
もしここを訪れた方々が「あれぇ~何やってんだ更新されてないぞ」と思ったら済まなかったス。陳謝。


また相も変らぬゆるい記録日誌と痛い自分語りとなる見込みだが、良かったら今後とも宜しくね。

3 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

伯母さんがお亡くなりになったとの事、
お悔やみ申し上げます

辛い時だと思うので、無理してアップしようと思わずBenさんが落ち着いてから更新されるのがいいと思います
個人的にはレコーディング続けておられるだけで
充分頑張っておられると思いますよ
体調崩されないようにしてくださいね

Ben Hanscom さんのコメント...

>tさん
おくやみありがとう。そしてお読み頂いてTHX。
愛する人が骨になってしまうというのは、やはりさすがにヘヴィでした。
でも近親者(その夫(僕にとっては伯父)、子供達(僕にとっては従兄弟達))の苦しみと悲しみには及びもつかない。
キリスト教式のお葬式だもんで、神父の説教がまた「現世のもろもろから抜け出して故人は今天の神様のもとで幸せに」的な、綺麗な捉え方をしてるんですね。
でも異教徒の僕や家族からしたら、そうは到底思えない。

人生は基本的につらくて悲しい事ばかり。傷や苦しみに満ち満ちている。
キリスト教は・・・そこから目を背けているとまでは言いませんが、死ぬ事を「天に帰る」という捉え方をする事によって、「だからこの世の事なんて瑣末なんだ」とでも言いたいように受け取れるのですよ。少なくとも神父の説教からはそう思えたのです。

でもチャペルの席に座り、前の席で棺を見つめる伯父や従兄弟達の気持ちを思うと、
「そうじゃねえだろ」「そんな瑣末事じゃねえだろ」
とつい思ってしまったのでした。
身体がバラバラにちぎられるくらいつらいと思うのですよ。当然ですけれど。

なんかあまりに現世を無視してないか?綺麗にまとめていいのか?

「それとも、そう捉える事によって、どうしようもなく訪れる苦しみやつらさを、いくぶんでも軽減する働きなのかなあ、何千年もかけてそういう進化をしてきたのかな、この宗教って」
とも思いました。

そういう事をつらつらとここしばらく考えていたのですよ。

おくやみありがとう。
また記録しますよ。
よかったらまた見てくださいね。

たまには超マジに語るのもいいかと思って、ここで吐き出してしまいましたw。
失礼!

匿名 さんのコメント...

吐き出しちゃっていいとおもいます~
なんたって、ここにはBenさんの分身というか
Benさんの一部なんですもん
マジに語るのも、思いっきりはじけるのも
全部ひっくるめてBenさんですから

レコダイがきっかけでこちらにお邪魔させて
もらってますが人となりを知るにつれて、
どんどん親近感がわいてきます^^

私も「今は神様の元で幸せに」という言葉は
残された者への慰めを最優先した言葉だと
思います
そういうことも必要なのは分かってるのですが、
なんだかすっきりしきれないままです

上手く説明できないのがもどかしい…