0020-08-19

掌編:「オールウェイズ・カミングホーム~行きて帰りし物語~ありがたや節」

床に入ったが半覚醒のまま。寝苦しいというかストンと意識が落ちてくれない。なんだか面白くない。
ふう。ああ~不眠症ってこれだから。
どうにも気が滅入る。体調も良くないし。
気分を変えなきゃ。風を浴びよう。
Tシャツとジーンズ、そしていい加減にスニーカーをつっかけて外に出た。時計も財布も持たずに。
その時、なんでまたさっきまで身を包んでいたタオルケットと薄い毛布を丸め小脇に抱えて(大きさはパンパンのトートバッグ程度なのだ)出たのか、今思っても自分で自分が判らない。野宿でもするつもりなのか?そんなわけもない。
まあ、いいや。(かなり投げやりな気持ちになっている証拠)
自宅を出て東の方へ歩き出した。風がもう冷たい。まばらな街灯がわびしい。
この時間だから通行人も全然いない。行き交う自動車さえあまりない。
歩く事しばし。
そろそろ土地勘のないあたりにさしかかってきた。次の角を曲がれば何があるとか、ちょっと考えても画が浮かばない程度、でも迷うほどでもない、そんな程度の距離。
適当に足の向くままずっと歩いた。
首筋にあたる風にブルッときたあたりで、もうそろそろ「俺なにやってんだ」という気分にもなってきた。
しかもタオルケットと毛布を脇に抱えている奇矯さ。何やってんだ、いろいろな意味で?
もういいや。帰るか。
きびすを返したところでふと思った。

ここ何処なんですか?
は?
判んない…判んないよ?

まずいよこれ。イイ大人なのにいま自分がどこに居るのかさえ不明。
昔とんでもない事(れっきとした殺人)をしでかして「太陽のせいやがな」と言い放ったジュリアンソレルとかいう人が居たけれど、そいつのボケっぷりに匹敵する。不惑も近い男が迷子に。何それ。
しょうがないなあ。

ある程度あたりをつけてまた歩く事しばし。
しかし、どうにもおかしい。全然見覚えのない場所だ。自分がけっこうな方向音痴という事は身に沁みて知っているがまさかこれほどとは。塞ぎ込んでしまう。ほんとしょうがねえなあ自分。
早く帰ろう!走り出した。
だがしかし。走っても走っても、なおも全然周囲が判らないのだ。全然見覚えがない。
ここまでいくら歩いたとはいっても、たかだか1時間程度。そんな事になるはずがない。
しかし現実にそうなのだ。
マジ?笑えないよ。
ここ札幌市は大雑把にいうと碁盤の目状の都市設計なので、東西南北さえ判っていれば多少の時間やら距離ロスを覚悟すれば、まあ常人ならなんとかなる土地柄なんですよ。なのになんで自分はどこにも行き着けないんだ?
四方を見渡してみる。
いつのまにか狭い小路に入っていた。ごみごみした住宅街。当然ながら真っ暗だ。この時間のことだから灯りのついている家も少ない。
まず大きな道に出て、早く現在位置を確認しなければ。
そして、なおも走った。しかし焦るほどに裏目裏目に。どんどん道は狭く、錯綜した分れ道が増えてくる。
そこの角を曲がり、あそこの家の裏を抜け、なんとかこの一画を抜けようとするも、ますます訳の判らない方向に。
速度を緩めてあたりを観察。いくらなんでもそこらの民家に番地表示くらいあるだろう。
でも暗くて判らず。
ペンライトで照らしてみた。でも光量不足で見えない。どこまで不幸なの俺。あぁぁぁ。
まずい展開になってきました。
金柵を乗り越え、ドブを飛び越え藪草を踏み越え、走った走った。こんな事人に言えない。
と。二人連れのオヤジが向こうから歩いてくる。かなりイイ機嫌の様子。メートル上がってます。
恥を忍んで訊いてみた。「す、すいません。一番近い幹線道路ってどこですか?」
一人が「ああ~あっちだよ」と指差した。ほぼ90度を指して。
もう一人が「そこが南郷通三丁目」と。そして千鳥足で去っていった。
南郷通三丁目というと…歩いて1時間で行ける距離でもない。これまで市内をほぼ斜めに端から端まで移動した事に。有り得ねえですよ?
そしてこのあたりにこんなうらぶれた箇所があるなんて知らなかった。
改めて見れば、ほんと凄まじいさびれよう。ドブの腐臭とか、トタン屋根の板張り小屋とか(しかも半壊している)、錆び破れた柵とか。
雑草がぼうぼう密生している。道も舗装さえされていない。砂利まじりの、しかもぬかるんだ…こんなの山道だよ。
政令指定都市にあるまじきスラム(問題発言)。
「サイレントヒル」の裏世界とタメを張る陰鬱さ。←判る人には判る

もう…もう限界です。
ジーンズのポケットに携帯電話が入っていた。電話して、恥を忍んでこのあたりの友人に周囲事情を訊こう。そしてできるなら迎えに来てもらおう。怒られるだろうし迷惑だろうけど、かなり駄目になっているので許されたし!
だが。
ああ!これって先代の電話だ。壊れたきり部屋に放置していたものだ。
裏面のパネルがなくなってしまい、バッテリパックもどこかへ消えている。つまりまるで使えないもの。
なぜこんなものを持ってきてしまったのか。くそ不幸すぎる

うーん…しかたがない。さらにさらに走り続ける。
そして適当に目についたそこらの家に停めてある自転車を盗もうとした。なんたって移動効率は大切ですよ!
自転車ドロなんて微罪ですよ!愛国無罪ですよ!(かなり間違ってる)
しかしカギに警報機がついてやんの。アラート音が鳴り出した。
半ばべそかきなら全速力で逃げた。うわーん!毛布で顔を覆いながら(そういう客観性は残っているのがまた謎)。

朽ちた金柵に沿って走るうち、いつの間にか工場地帯に。柵ごしの広い空間越しに、黒々と巨大な工場がいくつもいくつも見える。夜闇よりも煤煙よりも黒々とした威圧的なたたずまい。
ここはいったいどこなんだ?というより、どうなってるの?
このへんはそんな工場街じゃないはずです。そんな事はありえない。白石区だもの。
そして工場に直結しているレールがあり、遥か向こうに貨車が轟音を立てて行過ぎていく。
あたりには鉱滓を積み上げた小山がいっぱい。
そのひとつに昇ってみた。
見渡せばさっきまでの貧しげな街さえなくなっている。どこまでも不毛な砂利とコークスで覆われた空き地と柵と錆びた工場複合体があるばかり。
どうすりゃいいんだ。ここから先、行く場所がない。全然ない。
もう見たくなくて認めたくなくて振り返った。
すると頬になにか当たる。乾いた布の感触。
ん?
手を伸ばすとやはりその布に当たる。
その手に力を込めると上体が起きた。
座り直して眼を開けると、俺は床に身を起こしてた。
そこは見慣れたきったない自室だった。
しばらく放心していた。ここは「うち」だ。
空気がこもっているが、暖かい。
夢だったのだ。
長い長い溜息をついた。
ヘッドフォンと眼鏡が外れておりシーツに散らばっている。

ああ、よかった。本当によかった。夢でよかった。
帰れるうちがあるって、そして暖かい布団と灯りがあるって、なんて幸せな事なんだろう。
意外にも、最初に口をついて出た独り言が「神様ありがとう」だった。
寝ぼけているのか心弱っているのか、俺はそんな殊勝なニンゲンじゃないのにね。
うん。ここにあるのは日常。これこそが確固とした現実。
時刻は深夜3:30。
スコット・フィッツジェラルドいうところの「魂の暗闇」の刻ですわ。わあポエマー。

うんうんと自分で何度も納得しながら、また家を出た。こんどはしっかり施錠して、サイフも持って。
そして、うちからわずか30mのローソンへ行き、ロッテガーナチョコスリムパックと、おにぎりとつくね串と煙草を買った。
ふだんは無駄とも思える明るすぎる眩しいコンビニ照明が今日ほど暖かかった事はない。実感した。
そしてレジで思った。
これは現実。でもさっきの異様な悪夢と、そしてその時感じた不安と焦燥と、禍々しく変容した世界もまた現実だ。

「あれが夢というならなら、もう、なんだって夢だ」
というのが自分の定義なのだが、もっとまともな形容もある事を思い出した。
「夢であろうと現実であろうと、経験の重みに違いはない(マイクル・ムアコック「この世の彼方の海」)」
というもの。至言であるよ。うーん。

とはいうものの、「還ってきた」嬉しさでつい買う「なによりも確固としたもの」が
「ロッテガーナチョコスリムパックと、おにぎりとつくね串と煙草」って非道極まりない。レコダイはどうしたよ。

そして今、インスタントコーヒーを飲みながら、この世で一番落ち着く音楽「三月の水」(ジョアン・ジルベルト)と「ドゥ・イット・アゲイン」(スティーリー・ダン)を聞いている。チョコ美味い。生命の味であるよ。クーッ糖類が沁みる!

忘れないようにすぐさまPCを立ち上げてこの草稿を書いている。

そしてまた、更に思う。
幸いにも俺は還ってこられた。
でも同じように、生まれたところを遠く離れて、しかも無理無体に追い立てられて夜の寒さに怯え、ここがどこかさえ判らないまま、何がなんだか判らないまま、本当になった悪夢の中を歩くような気持ちで涙があふれ、明日の陽を拝めるかどうかさえ判らない人達も、この世には本当にいっぱいいるのだ。今この瞬間も。
(どんなシチュエーションかは問わずにね…戦乱とか災害か、そこまでデカい話じゃなくても虐待されてうちを飛び出したとか)

それに比べれば、なんて俺って幸せ者なんだろうね
柄にもなく敬虔になってみました。

いや、たんに悪い夢を見て動揺したというだけなんだけど。
しかしけっこう深いような気もしているぞ。ほんとにね。




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※俺、こういう克明な夢というのは結構よく見る・そしてよく覚えている方です。異常?
 昔似たようなディテール細かい夢日記書いたら、それを読んだ人から
 「こんなに細かく覚えているのは異常ですよ」とレス貰ったことある。そんなに変かなあ。

 それにしても読み返して思ったが、これはそのまま小説の一エピソードみたい。ファンタジー短編だな。

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