パルプを食う日々(4)
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バイオメガ(1)(2)/二瓶勉
OVA「BLAME!」が正直アレな出来だったので(この前借りた)、そしてなぜにウルトラジャンプで連載したのか等々、様々な不審を感じていたのだが買った。難解を極めた「BLAME!」(後半はいまだによく判らない)の次はどうなんだと思っていたのだが今日までフォローしていなかった。
結果:買って正解。
かなり判りやすくなっている。引用元もこれまでより直裁的だし、ゾンビ出てくるしw、女性キャラは微妙に佐藤道明みたいになってきたし、活劇部分が少年漫画的だし、いい、いいですよ!しかし「ベタになってちょっと萎え」みたいな古参ファン多いだろうなぁとも、また思う。でもそんなの無視。
他、巻末カバー折り返し部分の様々のエンブレムが「アーマード・コア」の社章みたいで「ああぁ!判ってらっしゃる!」と俺はもうニッコニコ。ドライコのスマイルマークもそのうち引用してくれよぅハァハァ。デザインのセンス素晴らしい。俺はこのひとつひとつのエンブレムをTシャツにプリントしたい。東亜重工ロゴのイラレデータ(アウトライン)がどこかにあったらどなたか教えてくださいませ。もっともオフィシャル品でTシャツくらい普通にありそうだ。
それにしても「サイバーパンク」という冠がなくたって、この二瓶氏はまるで関係なくマイペースで良作を描く人だったのね、今になってみると。
他。主役青年「庚造一」、個人的な話で恐縮だが俺の先輩に外見そっくり。勿論すごく男前です。周囲の誰か指摘しないのだろうか。いないか、そんなオタ。
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「告別」/ロバート・B・パーカー
もうとっくに時系列順に読むのを諦めてしまったスペンサーシリーズ。
しかし人づてに「スペンサーはスーザンと別れたんだよ」と聞き、激甚なショックを受けた俺はその後何年も何年も読めずに生きてきた。
しかし数ヶ月前からまた買い始めた。理由は特にないが。
その折に「キャッツキルの鷲」を読了し、「なんだ結局ヨリ戻すんじゃないか、つまんね(安堵)」と整合性の伴わない思いを感じると同時にちょっと救われた。パールは老死しちゃってるらしいけど。
さてこの「告別」。
序盤でいきなり三行半を突きつけられてるよう~。つらい、つらすぎる。
俺はこれを朝の喫茶店でモーニングセットAを食べながら読んだのだが、なんかもうトーストが粘土みたいに感じてしまったよ。きついわ。スペンサーの懊悩、判る。判りすぎる。
しまいには依頼人に撃たれて、しかもそれでもどうでもいいや、ああ~なにか川とお花畑が見えてきちゃったよでもいいか~的な投げやりさまで見せるスペンサー。あんたおかしいよ!でも、そういうもんだよね…。
ぐおーん!これは平成の「流れよわが涙、と警官は言った」だ!誰もそういう事言わないだろうから今俺が言いました。
他。リンダ哀れすぎ。明らかに繋ぎつかキープの位置。でも、そういうもんだよね…。
腐のみなさんは終盤でのスペンサーとホークのキスシーンでご飯三杯くらいいけるかもしれません。
しかしなんだ、あれですよあの女ですよ。傷心のスペンサーが腑抜けになったり胸を撃たれて危篤になってるのにその間スーザンは、ギネス級莫迦息子ラッセル・コスティガンとあんな事になってるなんてホント世の中どうなってるんだ。うわー憎い!個人的スーザンキャスティングはシビル・シェパード(「ブルームーン探偵社」の頃)なのだが、もうあの顔にパイを投げつけてやりたいぜ(アメリカ的形容)。
他。中盤までの
「あちこち聞き込みしては色々嫌われる→アメリカンジョーク厭味(日本人にはいまひとつぴんと来ない)を放つスペンサーの男っぷり自画自賛を拝聴→そうこうするうち命を狙われる→敵の送り込んだチンピラを殴り倒したり射殺したりして御満悦→チェリーパイ食ったりカフェインレスコーヒーを飲む→ベルソンやクワークがなんとなく味方になる→ジムで鍛えてるうちホークが加勢に来る→怒涛の後半へ」
という黄金パターンは健在。(このあたりまでで人名を覚えておくと読み進めるのがかなり楽です)
安心するというかいい気なもんだというか。いや、好きなんだけど。だからずっと読んでるんだけど。私立探偵ってこういう職業なんですか?時々わかりません。
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「デューン 砂漠の神皇帝」(1)(2)(3)/フランク・ハーバート
買いなおした。1巻は半年くらい前に買ったような記憶もあるが気にしない。
意外ともうどこにも売ってないから嬉しかった。ハヤカワってほんとアレだからな。
このあたりから登場人物は、各人のパーソナリティというよりは、それぞれの代表する勢力(イックスとかベネ・ゲセリットとかトライラックスとか)の代弁者というか、そういう扱いになっていく。だから個人への思い入れというのはかなり難しい。
ま、その路線は次作以降の「異端者」「大聖堂」でピークに達するわけだが、今回は神皇帝レトのキャラがあまりに濃すぎて(いち人格であると同時に社会勢力そのものだから)、それぞれのディベートやら闘争がススーと片付きすぎるきらいがある。うーんまさにデウス・エクス・マキナ。文字通りの意味で。
「異端者」「大聖堂」のどこか空虚な感じは、このレトの不在を受けてのことなんだなぁと、この「神皇帝」を読むとはっきりわかる。ここまでの存在感はムアドディブも持てなかったように思う。
他。
一連のデューンものの加藤直之氏(今更いうまでもないこの世界の神)の表紙・見開き・本文イラストを通してみると、この方の仕事の中で「一番人物画の比重がデカイじゃないか?」「一番メカの比重が少ないんじゃないか?」と改めて思った。これは意外。
あとすごく精緻な画なのに、動きというものが全然ないのだなとも思った。バロックの人物画みたいな静的な感じすらある。メカの躍動感(例:パーサーカーとか宇宙の戦士とか)はとてつもないのだけど、不思議な事だ。
このへん、人物の動きがものすごくて、反面メカは鎮座しているようにしか見えない生頼先生とは好対照。
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